提出されたドメスティック・バイオレンス法は、10年もの間、草案の修正を繰り返し、ようやく国王の署名を待つだけになった。法律の制定にかかわってきた人々はこの法律によって真の変化が生まれることを望んでいる。
18年間の結婚生活のなかで、ヘング・スレイさんが安心して暮らしたことは一度もなかった。大酒を飲む夫から頻繁に殴られ、暴言を浴びさせられてきた。夫は子どもも殴り、自分をレイプしてきた、と彼女はカンボジア女性クライシスセンター(CWCC)で最近行われたインタビューで答えた。
彼らは、プルサット州のクラコール郡に住んでいたのだが、夫は家計に収入を入れることはなく、妻や子どもを田んぼで働かせた。
41歳になるヘング・スレイさんはどこにも助けを求めることができなかった。警察に訴えてもらちがあかず、単に訴状を書く手数料をとられただけだったという。
「コミューン(集合村)の警官にも訴えましたが、夫は逮捕されませんでした。警官は夫を交番に連れていき、忠告をし、また家に連れ帰ってきました。」と彼女は話す。
「警官たちは、自分たちにはこの問題を解決することができないと話しました。交番から帰った夫は、殴りはしませんでしたが、外に飲みに出かけ、戻ると私をレイプしました。」
1998年、彼女はコミューンに離婚申請をおこなった。しかし、夫は同意せず、コミューンの役人は自分たちで問題を解決するようにと二人を家に帰した。
彼女の夫は、彼女が数ヶ月前に家から逃げだすまで彼女を殴り続けた。逃げ出した後、彼女は、CWCCが運営するプノンペンのシェルターで暮らしている。
「ドメスティック・バイオレンスの予防と被害者保護法案」は先ごろ国会で承認され、今は、国王の署名を待つだけとなっている。これから何年も研修を実施する必要はあるだろうが、今後、ヘング・スレイのようなケースが起きたとき、地方当局はもはや無視できなくなるだろう、とこの法律の提唱者たちは話している。
この法律の目的は「ドメスティック・バイオレンスを防ぎ、被害者を保護し、非暴力の文化を広め、家庭内の調和を強めることだ」と明記されている。
その目的を果たすために、この法律は、即時の介入措置をとることを定めており、ドメスティック・バイオレンスが起きたときだけでなく、起きそうになったときでさえも被害者を保護できるという非常に用心深いものとなっており、それはカンボジアに固有のものである。
「我々は、刑法と民法それぞれに足りない部分を補いたいと思っています。この法律によって被害者は保護されるようになります。また、この法律はカンボジアの伝統にも沿っています。」と女性省の司法扶助局の次長は話す。
「もし刑法の手続きを踏めば、警官は100%明らかな証拠がなければ被害者を助けることができません。もし民法の手続きを踏めば、被害者が離婚申請をしない限り保護することはできません。カンボジアの伝統で、ほとんどの女性は離婚をしたがりません。どんな犠牲を払ってでも家族に残ろうとするのです。」
この法律はむやみに加害者を罰しようとするのではなく、被害者を保護することに重点が置かれている。
本法は、もっとも身近な当局に介入する義務を課している。すなわち、村長やコミューン長は被害者を4週間保護しなければならず、その間、加害者は家に入ることも被害者と接触することも許されない、とドイツの開発援助機関のGTZ職員で、この法律を女性省とともに策定してきたスーザン・ミューラー氏は話す。
裁判所はその保護期間を9ヶ月まで延長することができるのだが、それだけの期間があれば、家族が和解することができるかもしれない、と彼女は話す。
本法は、重罪のケースのみを警察や検察に通報することを定めている。その他のケースの場合、刑法上の罪であろうとなかろうと、被害者は保護されなければならない。
「ドメスティック・バイオレンスで被害者が助けを求めるのは、わずか11%にしか過ぎません。多くの女性が、夫が刑務所に入れられ、無一文の独りぼっちになることを恐れているのです。彼女たちに行く場所はありません。それで彼女たちに必要なのは、家庭内で解決法を探せるような冷却期間なのです。」
多くの人はこの法律はカンボジアの女性や家族にとって有益なものと見なしているが、議論に上ったにもかかわらず未解決の問題も残っている。
特にこの法律で規定された保護される人々の範囲が狭すぎると批判する人がいる。つまり、本法で家族と認められているのは、同じ屋根の下に住む、夫、妻、子どもとその他の扶養家族となっているからだ。
たとえ、女性が経済的にある男性に依存していたり、その人の子どもを持っていたりする場合であっても、ほかの場所に住む恋人や愛人はこの法律で対象となっていない、と元女性省大臣で現在野党のメンバーであるムー・ソクア氏は話す。
「カンボジア社会では、実際、男性はこうした女性に妻の役割を期待しています。しかし、この法律では、同じ屋根の下に住まない限り、愛人は対象と見なされないのです。もしこの法律が彼女たちを家族の一員と見なせば、彼女たちはエンパワーされるのですが」と彼女は言う。
しかし、ミューラー氏は、こうした女性たちをもこの法律で対象としようとすることは法律の成立を危うくするものだったと話す。
「法律を成立させるための常として、妥協は避けられません。今回の場合、愛人を含めるか、法律成立を諦めるか、どちらかの選択しかありませんでした。この法律は、ドメスティック・バイオレンスを非常に広い範囲まで定義しています。同じ屋根の下に住むすべての人が対象となっていますし、身体的、精神的、情緒的すべての暴力が含まれていますから。」と彼女は言う。
この法律に反対する人々は、長い間、家族の定義が広すぎること、裁判所の権限が大きすぎることを批判し、この法律が伝統的価値を壊すものだと訴えてきた。
今年の9月、フンシンペック党の議員がこの法律は、カンボジアの社会と伝統に対する大きな打撃となる、と発言し、法律によって家族は分断されるだけだと懸念を示した。
妥協点はあるが、本法は国際基準に近いものだとムー・ソクア氏は話す。彼女によると、1996年に提出されて承認されなかった法案は、その後3回、作り直された。彼女が2003年の総選挙直前に新しい法案を国会に提出したときは、「革新的すぎる」と男性議員・女性議員の両方から非難を浴びたという。また、今回通過した法案は、硫酸をかけて相手に危害を加える問題【訳者註】は削除され、夫婦間レイプの問題はよりあいまいな記述にとどまったと彼女は話す。
ミューラー氏は、法案が国会で承認されたのは、大幅な変更があったおかげというより、カンボジア社会がもっと進歩的になったからだろうと話す。
しかし、ヘング・スレイさんの置かれている状況は、実際にはあまり変化がないかもしれないことを示している。彼女は「1998年にコミューンに離婚申請しましたが、夫は同意しませんでした。その後一緒に暮らしてさらに二人の子どもが生まれました。」と話すが、その間も彼女は暴力を受け、レイプされ続けたのだ。
この6月にカンボジアのNGOのADHOCが彼女のケースを聞き、支援を始めたのである。今、ヘング・スレイさんは、CWCCから支援を受け、シェルターで保護されながら、ADHOCからは離婚申請が通るよう支援を受けている。
ドメスティック・バイオレンスの法的側面や行政面についてカンボジアの役人、警官、一般市民が理解するように意識啓発を行うためには、多くの資金と時間がかかることを取材に答えてくれたすべての人が同意している。しかし、政府にこの法律を施行する意思がどれだけあるかということは懸念材料である。
「本当に不足しているのは、ドメスティック・バイオレンス被害者にサービスを提供し続けるための国家予算です。暴力を受けたあと人生を生き抜くためには、たくさんの支援とケアが必要です。」とムー・ソクア氏は言う。
ミューラー氏は、ドイツ政府はすでに96万ドルの資金支出をこの法律執行の長い道のりのために約束したと話すが、カンボジア政府が予算としてどれだけ配分するかはまだ定かではない。
ムー・ソクア氏は言う。法律が被害者を保護することを広報したあとでも、この問題に対する意識啓発やアクションをとることの重要性について説得し続けていかなくてはなりません。なぜなら、この国では、「プライベートなことをオープンにしようとしないのですから」と。
そして、最後に地元の当局と警察からの協力が欠かせないだろう。現在、政府は「完全にNGOに頼っている状態」とCWCCのディレクター、オン・チャントール氏は話す。2000年に行われた最新の全国調査によると女性の23%が暴力を受けていることがわかったが、政府はそれらの被害者に対してほとんど何の支援もおこなっていない。
政府が運営するドメスティック・バイオレンスの被害者のためのシェルターはまったく存在せず、国内全体でCWCCが運営するわずか3つのシェルターが存在するだけでだけである。そこには、毎日250人もの女性が新たに保護されていると彼女は言う。
彼女によると、毎年CWCCでは400人の警官を対象にドメスティック・バイオレンスのケースを通報するためのトレーニングを実施しているが、そのうち熱心にそれをおこなっている警官はわずか45%だという。
内務省の報道官キウ・ソフィーク氏は内務省では家庭内の犯罪をほかの犯罪と同様に真剣に見なしていると話す。「家庭の中で傷害事件や殺害事件を起こしたらそれは犯罪です。私たちは夫だから、妻だからという考え方はしません。男女は法の下で平等です」と彼は言う。
しかし、そうはいっても、内務省もその役人も行動を起こす前に被害者の訴えに頼らざるをえない、と彼は補足している。
「もし被害者が警察に訴えなかったら、それは家庭内でその問題を解決できるということでしょう。」とも彼は付け加えた。(訳:甲斐田万智子)
【訳者註】硫酸攻撃acid attack
主に女性に対する暴力の形態の一つ。硫酸をかけられた女性の皮膚は溶け、ときには、骨まで影響を受けることがあり、顔にかかった場合は失明することも多い。サバイバーたちは、身体的のみならず精神的・社会的な苦しみを味わい、差別にあい孤立化する。南アジアに多いが、カンボジアでも多くの被害が報告されている。