お知らせ

【報告】子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える

お知らせ

2018年08月23日

 

2018年7月29日(土)東京ウィメンズプラザにおいて開催したセミナー「子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える」の様子を、あますところなく詳細にお届けいたします!

 

当日は20名の参加者の方が来てくださいました。これからもシーライツはセミナーやイベント、その他様々な活動を通じて、子どもを誰一人取り残さず子どもの権利をまもっていく社会を目指していきたいと思います。

 

 

 

まずは最初の発表をご紹介します。

 

 

■日本におけるニューカマーの子どもたちの「権利」について実践現場から考える

 

チュープ・サラーン(NPO法人外国人支援ネットワークすたんどばいみー代表理事)

 

 

 

私は、タイの難民キャンプを経由して、国連難民高等弁務官(UNHCR)の第3国定住として1989年に家族5人とともに5歳の時に来日しました。両親は定住センターで日本語や日本文化を学び、仕事を見つけ、いちょう団地で暮らすようになりました。いちょう団地には数多くの外国人が暮らしていましたが、2000年代初頭の外国人の子どもたちをめぐる状況は厳しく、不登校や中途退学、青少年犯罪や薬物に手を染める子も多く、高校に行く子はまれでした。周りには「こんなおとなになりたい」というロールモデルもなく、自分たちがどんなおとなをめざしたらいいのかも分かりませんでした。

 

ボランティア学習教室に通っていましたが、何かやりたいというと「ルールがあるからダメ」と言われ、少し反抗的なことをいうと「せっかくあなたのためにやっているのに」とか「もっと感謝してね」と言われました。日本人とは壁があるように感じていました。

 

日本で暮らす外国人の子どもたちにはアイデンティティの葛藤があります。例えば、カンボジアの家庭では女の子は家の中で家事をすることが求められ、体罰が行われることも。家では勉強よりも家事が優先され、早く結婚することが好まれますが、そうなると高校進学も難しく、日本人の女の子のようにのびのびとはできません。個人の意見よりも目上の人に対する尊敬が重視されるので、反抗的な態度を取ると、親が子どもを母国に送還して親戚に預けるといったことも行われます。母国の文化と日本社会との間にずれがあるのです。また、親世代には戦争体験があり、親は子どもの将来を考えて来日したのですが、子どもにとっては親の辛い経験は重過ぎるし、結果的に親子関係が断絶している場合もあります。

 

親子関係や学校における処遇など同じような問題を抱えている外国人の子どもたちがたくさんいたので、自分たちの居場所を作ろうと2001年にすたんどばいみー を立ち上げました。そして、支援されるだけでなく、自分たちからも発言もしたいと考えて2年前に法人化しました。すたんどばいみーは、葛藤のある子達が自分を落ち着かせたり、状況を整理したり、自分を表出したり、避難するための居場所としてつくられました。そして、家庭訪問を通じた親世代との話し合いも重ねてきました。

 

外国人の子どもたちは学校では辛い経験をしているし、面倒を見てくれる先生に出会うことはまれです。面倒見のいい先生に出会うことはその子の進路選択に影響しますが、「学校が楽しかった」という子はいないと思います。どこに行っても自分はだめな人間だと思ってしまうし、行き場所がない。高校には行かず親と同じ工場で働く子もいます。子どもの権利条約も全然守られていません。

 

 

■外国にルーツを持つ児童・生徒の権利

 

宮脇英理(すたんどばいみー事務局長)

 

私は中国系ベトナム人と日系ベトナム人の両親の元、日本で生まれ育って日本の教育を受けて、2001年にすたんどばいみーに出会いました。

 

父親にベトナム語教室に連れて行かれたけれど、自分の国の言葉なんて勉強したくないと思いました。一方、親は日本の制度が分からないし、高校に関する知識もない。すたんどばいみーは、自分のルーツのことや学校のことについて話を聞いてくれ、親の戦争のことやなぜ日本にいるのかということも教えてくれました。いちょう団地には外国人が多いけれど、自分が通っていた学校は外国人が少なかったので、日本人でないことを隠していました。お母さんは日本の名前で、お父さんはベトナムの名前なので、「保護者氏名はどちらを書けばいいですか?」と先生に尋ねると、先生には「書きやすいほうでいい」と言われました。自分が抱えているアイデンティティや葛藤について学校で教えてくれることはなかったし、すたんどばいみーに出会わなければ日本人として生きていたと思います。

 

子どもにとって最も良いことは学校に行くことだと思いますが、とにかく子どもが大事にされていない、と思います。

 

すたんどばいみーの子どもたちのことを紹介したいと思います。

 

Aちゃんはベトナム人で日本生まれの日本育ちですが、すたんどばいみーに来ていても、掛け算でつまづくし、宿題のレベルもあっていない。学校の先生がちゃんと見ていないからではないかと思います。さらに先生は親に「特別支援学級に行ったらどうか」、「子どもの数が少ないから丁寧に見てもらえる」と言います。でも、本人は「そのクラスは勉強が出来ない人が行くクラスなの」「私はばかなの。何をやってもできない」と思っていて、子どもはそんな思いを抱えながら通っています。特別支援学級に通う子どもたちは全部で20名、うち日本人は5名で他は全員ベトナム人ですが、これはおかしいのではないかと思います。Aちゃんに障害はないのに、一般学級では見てもらえない。先生は障害者手帳があれば就職ができると言うけれど、一般中学や高校に進学できるのかどうか、マイナス面まで含めて伝えているのかどうか分かりません。外国人=障害がある子なのでしょうか。他の地域ではブラジル人がそのような状況におかれています。

 

Bくんは中国系ベトナム人で親が難民として来日しました。中学では部活に熱中していて、優秀な成績で大会まで出たのですが、先生とはうまくいっていませんでした。そんなある日、先生はBくんに対して「他のやつのことを考えられないなら国に帰れ!」と言いました。Bくんは日本で生まれ育っていて、ベトナム語が話せません。両親はベトナム人ですが、一体どこに帰れというのでしょう。Bくんは「僕の国ってどこ?」と言い返したかったけれど、相手は先生だし怖いし、何も言えませんでした。Bくんの尊厳や権利はどうなるのでしょうか。

 

Cくんは日本生まれの中国人で、選挙権がないことを知りませんでした。親とも話をすることはありません。その子にとって知る権利とはなんでしょうか。日本の学校教育では、外国人の子どもたちが権利を学べる場はありません。

 

子どもたちは自分の国の言葉を学ぶ機会がなく、親は日本語が理解できないため、会話が成り立ちません。子どもは親に守られることになっていますが、親は日本語ができないため実際には子どもを守れません。日本生まれの子も多く、保育園でも保育士が「どんどん日本語を話させてください」という一方で、親の言語や文化は伝えられません。さらに、いじめがあるので、子どもたちは日本名に変えていきますが、子どもたちが自分たちのアイデンティティに気がついた時には、すでに日本名になっています。

 

日本では外国人にとっていい制度はありません。だから、子どもが自分らしく生きられるようになるためには、地域の中でどれだけ手をかけてあげたかが大事だと思います。先生がどれだけ手厚く手をかけたかによって、子どもたちは自立できます。子どもが自分で考えて出来るようになるためには「しつこいおとな」がどれだけいたかが重要です。親は言葉も文化も違うし、「女性はこうすべき」という観念があるのであまり話ができません。子どもの尊厳や権利を考えた時に、外国人の子どものアイデンティティの問題に対して、周りのおとながどれだけ知識をもって接することができるかが問われています。例えば、自分がベトナム人だというと、友達に「ベトナムってきたないよね」と言われたことがありますが、そんな時周りのおとなが肯定的なことがいえるかどうかが子どもの成長にとって重要です。

 

 

■「難民の子ども、マイノリティの子ども、移民の子どもの権利」

 

甲斐田万智子(シーライツ代表理事)

 

 

お二人の話しを聞いて、5つのことが印象的でした。

 

1つ目は、ボランティアの人から「感謝をしなさい」と言われたこと。これは、子どもの権利ベースアプローチとはまったく逆の接し方だと思いました。

 

2つ目は、「子どもたちに特別支援は必要だけど、それは特別支援学級ではない」という言葉です。

 

3つ目は、「(先生から投げられた言葉によって)胸が痛かったと同時にそれはおかしいと思った。けれども、それを先生に言えなかった。先生がどれだけ子どもに手厚い対応をできるかだ」という言葉でした。

 

4つ目は、「地域のおとなが、どれだけ考えを変えて、子どもたちの話を聴く、子どもに寄り添えるおとなになれるか」ということ。

 

5つ目が、親がどれだけ知識を増やし、抑圧的な態度ではなく、肯定的な言葉を子どもにかけられるようになるかということです。

 

これから、難民の子どもには本来どのような権利が保障されているかについてお話します。まず、子どもの権利条約では、

第2条 差別されない権利

第22条 難民の子どもの保護・援助

第28条 教育を受ける権利

第29条 教育の目的

第30条 少数者・先住民の子ども

が特に関係します。

 

 

子どもの権利条約の第2条では、親の「地位」を理由とした差別を禁止し、政府は差別の解消あらゆる措置をとることを定めています。しかし、国連子どもの権利委員会による第一総括所見でも第二総括所見でもこの点において日本政府は勧告され、2010年の第3回総括所見では、難民の子どもを含むマイノリティの子どもに対する社会的差別が根強く残っていることへの懸念が示されました。

 

第22条では、「難民の子どもだからといって、差別されたり受け入れてもらえないなどということがあってはならない。難民の子どもを保護したり、援助したりするために努力するNGOを政府は協力しなければならない。特に健康への権利(24条)と教育への権利(28条)を保障する。」と定められていますが、お二人のお話を聞いていると特に教育の権利の実現のために政府がNGOに協力をしていないことがわかります。

 

28、29条の教育への権利、30条の少数者の子どもの権利では、マイノリティの外国籍の子どもたちが自らの言語・文化・歴史を学べるように保障しなければならないこと、また、マイノリティの子どもへの日本語教育プログラムの実施が定められていますが、それらが保障されていないことがわかります。また、子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティティや価値の尊重を定めていますが、お二人の話から、日本の保育園では、母語の使用を禁じられていたり、母国の歴史を学べないなど条約が守られていないことがわかりました。第二回総括所見でも、「マイノリティの子どもたちにとって、自己の言語で教育を受ける機会がきわめて限られている」と懸念されています。

 

昨年、国連子どもの権利委員会で採択された、「国際的移住の子どもの人権に関する一般的意見23号」では「移住者である子ども(migrant children)に対するいかなる差別も解消するとともに教育上の障壁を克服するための適切なジェンダーに配慮した対応をとらなければならない。」とされましたが、それらの対応がされていないことがわかります。

 

そして、子どもの権利条約には、意見表明権などの子どもの参加の権利が保障されていますが、親から伝統的価値観、ジェンダー価値観を押し付けられがちな外国にルーツをもつ子どもたちには、特に親にも意見を表明していい権利があることを伝えることが大切でしょう。

 

すたんどばいみーは、子どもたちが自分の思いを安心して伝えることができる権利を保障している大切な居場所だと思います。

 

このような場所が難民の子ども、多文化の子ども、マイノリティの子どもに必要だと思いますが、まだまだ少ないと思います。子どもたちはこのような場所で、意見を出し合い、社会の問題点を話し合うことでエンパワーされ、エンパワーされた子どもたちが社会を変えていく力になるのではないでしょうか。そうすることで「子どもを誰ひとり取り残さない社会」を実現できるのだと思います。

 

子どもの権利についての研修や人身売買・児童労働に関する子ども向けの啓発に必要な文房具を配布することができます。

童話や物語の本を5冊購入し、本が傷まないように補強してから図書室に届けることができます。

村の清掃と衛生について学ぶ「ゴミ拾いキャンペーン」を1回開催することができます。

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【報告】子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える

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2018年08月23日

 

2018年7月29日(土)東京ウィメンズプラザにおいて開催したセミナー「子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える」の様子を、あますところなく詳細にお届けいたします!

 

当日は20名の参加者の方が来てくださいました。これからもシーライツはセミナーやイベント、その他様々な活動を通じて、子どもを誰一人取り残さず子どもの権利をまもっていく社会を目指していきたいと思います。

 

 

 

まずは最初の発表をご紹介します。

 

 

■日本におけるニューカマーの子どもたちの「権利」について実践現場から考える

 

チュープ・サラーン(NPO法人外国人支援ネットワークすたんどばいみー代表理事)

 

 

 

私は、タイの難民キャンプを経由して、国連難民高等弁務官(UNHCR)の第3国定住として1989年に家族5人とともに5歳の時に来日しました。両親は定住センターで日本語や日本文化を学び、仕事を見つけ、いちょう団地で暮らすようになりました。いちょう団地には数多くの外国人が暮らしていましたが、2000年代初頭の外国人の子どもたちをめぐる状況は厳しく、不登校や中途退学、青少年犯罪や薬物に手を染める子も多く、高校に行く子はまれでした。周りには「こんなおとなになりたい」というロールモデルもなく、自分たちがどんなおとなをめざしたらいいのかも分かりませんでした。

 

ボランティア学習教室に通っていましたが、何かやりたいというと「ルールがあるからダメ」と言われ、少し反抗的なことをいうと「せっかくあなたのためにやっているのに」とか「もっと感謝してね」と言われました。日本人とは壁があるように感じていました。

 

日本で暮らす外国人の子どもたちにはアイデンティティの葛藤があります。例えば、カンボジアの家庭では女の子は家の中で家事をすることが求められ、体罰が行われることも。家では勉強よりも家事が優先され、早く結婚することが好まれますが、そうなると高校進学も難しく、日本人の女の子のようにのびのびとはできません。個人の意見よりも目上の人に対する尊敬が重視されるので、反抗的な態度を取ると、親が子どもを母国に送還して親戚に預けるといったことも行われます。母国の文化と日本社会との間にずれがあるのです。また、親世代には戦争体験があり、親は子どもの将来を考えて来日したのですが、子どもにとっては親の辛い経験は重過ぎるし、結果的に親子関係が断絶している場合もあります。

 

親子関係や学校における処遇など同じような問題を抱えている外国人の子どもたちがたくさんいたので、自分たちの居場所を作ろうと2001年にすたんどばいみー を立ち上げました。そして、支援されるだけでなく、自分たちからも発言もしたいと考えて2年前に法人化しました。すたんどばいみーは、葛藤のある子達が自分を落ち着かせたり、状況を整理したり、自分を表出したり、避難するための居場所としてつくられました。そして、家庭訪問を通じた親世代との話し合いも重ねてきました。

 

外国人の子どもたちは学校では辛い経験をしているし、面倒を見てくれる先生に出会うことはまれです。面倒見のいい先生に出会うことはその子の進路選択に影響しますが、「学校が楽しかった」という子はいないと思います。どこに行っても自分はだめな人間だと思ってしまうし、行き場所がない。高校には行かず親と同じ工場で働く子もいます。子どもの権利条約も全然守られていません。

 

 

■外国にルーツを持つ児童・生徒の権利

 

宮脇英理(すたんどばいみー事務局長)

 

私は中国系ベトナム人と日系ベトナム人の両親の元、日本で生まれ育って日本の教育を受けて、2001年にすたんどばいみーに出会いました。

 

父親にベトナム語教室に連れて行かれたけれど、自分の国の言葉なんて勉強したくないと思いました。一方、親は日本の制度が分からないし、高校に関する知識もない。すたんどばいみーは、自分のルーツのことや学校のことについて話を聞いてくれ、親の戦争のことやなぜ日本にいるのかということも教えてくれました。いちょう団地には外国人が多いけれど、自分が通っていた学校は外国人が少なかったので、日本人でないことを隠していました。お母さんは日本の名前で、お父さんはベトナムの名前なので、「保護者氏名はどちらを書けばいいですか?」と先生に尋ねると、先生には「書きやすいほうでいい」と言われました。自分が抱えているアイデンティティや葛藤について学校で教えてくれることはなかったし、すたんどばいみーに出会わなければ日本人として生きていたと思います。

 

子どもにとって最も良いことは学校に行くことだと思いますが、とにかく子どもが大事にされていない、と思います。

 

すたんどばいみーの子どもたちのことを紹介したいと思います。

 

Aちゃんはベトナム人で日本生まれの日本育ちですが、すたんどばいみーに来ていても、掛け算でつまづくし、宿題のレベルもあっていない。学校の先生がちゃんと見ていないからではないかと思います。さらに先生は親に「特別支援学級に行ったらどうか」、「子どもの数が少ないから丁寧に見てもらえる」と言います。でも、本人は「そのクラスは勉強が出来ない人が行くクラスなの」「私はばかなの。何をやってもできない」と思っていて、子どもはそんな思いを抱えながら通っています。特別支援学級に通う子どもたちは全部で20名、うち日本人は5名で他は全員ベトナム人ですが、これはおかしいのではないかと思います。Aちゃんに障害はないのに、一般学級では見てもらえない。先生は障害者手帳があれば就職ができると言うけれど、一般中学や高校に進学できるのかどうか、マイナス面まで含めて伝えているのかどうか分かりません。外国人=障害がある子なのでしょうか。他の地域ではブラジル人がそのような状況におかれています。

 

Bくんは中国系ベトナム人で親が難民として来日しました。中学では部活に熱中していて、優秀な成績で大会まで出たのですが、先生とはうまくいっていませんでした。そんなある日、先生はBくんに対して「他のやつのことを考えられないなら国に帰れ!」と言いました。Bくんは日本で生まれ育っていて、ベトナム語が話せません。両親はベトナム人ですが、一体どこに帰れというのでしょう。Bくんは「僕の国ってどこ?」と言い返したかったけれど、相手は先生だし怖いし、何も言えませんでした。Bくんの尊厳や権利はどうなるのでしょうか。

 

Cくんは日本生まれの中国人で、選挙権がないことを知りませんでした。親とも話をすることはありません。その子にとって知る権利とはなんでしょうか。日本の学校教育では、外国人の子どもたちが権利を学べる場はありません。

 

子どもたちは自分の国の言葉を学ぶ機会がなく、親は日本語が理解できないため、会話が成り立ちません。子どもは親に守られることになっていますが、親は日本語ができないため実際には子どもを守れません。日本生まれの子も多く、保育園でも保育士が「どんどん日本語を話させてください」という一方で、親の言語や文化は伝えられません。さらに、いじめがあるので、子どもたちは日本名に変えていきますが、子どもたちが自分たちのアイデンティティに気がついた時には、すでに日本名になっています。

 

日本では外国人にとっていい制度はありません。だから、子どもが自分らしく生きられるようになるためには、地域の中でどれだけ手をかけてあげたかが大事だと思います。先生がどれだけ手厚く手をかけたかによって、子どもたちは自立できます。子どもが自分で考えて出来るようになるためには「しつこいおとな」がどれだけいたかが重要です。親は言葉も文化も違うし、「女性はこうすべき」という観念があるのであまり話ができません。子どもの尊厳や権利を考えた時に、外国人の子どものアイデンティティの問題に対して、周りのおとながどれだけ知識をもって接することができるかが問われています。例えば、自分がベトナム人だというと、友達に「ベトナムってきたないよね」と言われたことがありますが、そんな時周りのおとなが肯定的なことがいえるかどうかが子どもの成長にとって重要です。

 

 

■「難民の子ども、マイノリティの子ども、移民の子どもの権利」

 

甲斐田万智子(シーライツ代表理事)

 

 

お二人の話しを聞いて、5つのことが印象的でした。

 

1つ目は、ボランティアの人から「感謝をしなさい」と言われたこと。これは、子どもの権利ベースアプローチとはまったく逆の接し方だと思いました。

 

2つ目は、「子どもたちに特別支援は必要だけど、それは特別支援学級ではない」という言葉です。

 

3つ目は、「(先生から投げられた言葉によって)胸が痛かったと同時にそれはおかしいと思った。けれども、それを先生に言えなかった。先生がどれだけ子どもに手厚い対応をできるかだ」という言葉でした。

 

4つ目は、「地域のおとなが、どれだけ考えを変えて、子どもたちの話を聴く、子どもに寄り添えるおとなになれるか」ということ。

 

5つ目が、親がどれだけ知識を増やし、抑圧的な態度ではなく、肯定的な言葉を子どもにかけられるようになるかということです。

 

これから、難民の子どもには本来どのような権利が保障されているかについてお話します。まず、子どもの権利条約では、

第2条 差別されない権利

第22条 難民の子どもの保護・援助

第28条 教育を受ける権利

第29条 教育の目的

第30条 少数者・先住民の子ども

が特に関係します。

 

 

子どもの権利条約の第2条では、親の「地位」を理由とした差別を禁止し、政府は差別の解消あらゆる措置をとることを定めています。しかし、国連子どもの権利委員会による第一総括所見でも第二総括所見でもこの点において日本政府は勧告され、2010年の第3回総括所見では、難民の子どもを含むマイノリティの子どもに対する社会的差別が根強く残っていることへの懸念が示されました。

 

第22条では、「難民の子どもだからといって、差別されたり受け入れてもらえないなどということがあってはならない。難民の子どもを保護したり、援助したりするために努力するNGOを政府は協力しなければならない。特に健康への権利(24条)と教育への権利(28条)を保障する。」と定められていますが、お二人のお話を聞いていると特に教育の権利の実現のために政府がNGOに協力をしていないことがわかります。

 

28、29条の教育への権利、30条の少数者の子どもの権利では、マイノリティの外国籍の子どもたちが自らの言語・文化・歴史を学べるように保障しなければならないこと、また、マイノリティの子どもへの日本語教育プログラムの実施が定められていますが、それらが保障されていないことがわかります。また、子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティティや価値の尊重を定めていますが、お二人の話から、日本の保育園では、母語の使用を禁じられていたり、母国の歴史を学べないなど条約が守られていないことがわかりました。第二回総括所見でも、「マイノリティの子どもたちにとって、自己の言語で教育を受ける機会がきわめて限られている」と懸念されています。

 

昨年、国連子どもの権利委員会で採択された、「国際的移住の子どもの人権に関する一般的意見23号」では「移住者である子ども(migrant children)に対するいかなる差別も解消するとともに教育上の障壁を克服するための適切なジェンダーに配慮した対応をとらなければならない。」とされましたが、それらの対応がされていないことがわかります。

 

そして、子どもの権利条約には、意見表明権などの子どもの参加の権利が保障されていますが、親から伝統的価値観、ジェンダー価値観を押し付けられがちな外国にルーツをもつ子どもたちには、特に親にも意見を表明していい権利があることを伝えることが大切でしょう。

 

すたんどばいみーは、子どもたちが自分の思いを安心して伝えることができる権利を保障している大切な居場所だと思います。

 

このような場所が難民の子ども、多文化の子ども、マイノリティの子どもに必要だと思いますが、まだまだ少ないと思います。子どもたちはこのような場所で、意見を出し合い、社会の問題点を話し合うことでエンパワーされ、エンパワーされた子どもたちが社会を変えていく力になるのではないでしょうか。そうすることで「子どもを誰ひとり取り残さない社会」を実現できるのだと思います。

 

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【報告】子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える

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2018年08月23日

 

2018年7月29日(土)東京ウィメンズプラザにおいて開催したセミナー「子どもを誰一人取り残さない社会をめざして~インドシナ難民と子どもの権利を考える」の様子を、あますところなく詳細にお届けいたします!

 

当日は20名の参加者の方が来てくださいました。これからもシーライツはセミナーやイベント、その他様々な活動を通じて、子どもを誰一人取り残さず子どもの権利をまもっていく社会を目指していきたいと思います。

 

 

 

まずは最初の発表をご紹介します。

 

 

■日本におけるニューカマーの子どもたちの「権利」について実践現場から考える

 

チュープ・サラーン(NPO法人外国人支援ネットワークすたんどばいみー代表理事)

 

 

 

私は、タイの難民キャンプを経由して、国連難民高等弁務官(UNHCR)の第3国定住として1989年に家族5人とともに5歳の時に来日しました。両親は定住センターで日本語や日本文化を学び、仕事を見つけ、いちょう団地で暮らすようになりました。いちょう団地には数多くの外国人が暮らしていましたが、2000年代初頭の外国人の子どもたちをめぐる状況は厳しく、不登校や中途退学、青少年犯罪や薬物に手を染める子も多く、高校に行く子はまれでした。周りには「こんなおとなになりたい」というロールモデルもなく、自分たちがどんなおとなをめざしたらいいのかも分かりませんでした。

 

ボランティア学習教室に通っていましたが、何かやりたいというと「ルールがあるからダメ」と言われ、少し反抗的なことをいうと「せっかくあなたのためにやっているのに」とか「もっと感謝してね」と言われました。日本人とは壁があるように感じていました。

 

日本で暮らす外国人の子どもたちにはアイデンティティの葛藤があります。例えば、カンボジアの家庭では女の子は家の中で家事をすることが求められ、体罰が行われることも。家では勉強よりも家事が優先され、早く結婚することが好まれますが、そうなると高校進学も難しく、日本人の女の子のようにのびのびとはできません。個人の意見よりも目上の人に対する尊敬が重視されるので、反抗的な態度を取ると、親が子どもを母国に送還して親戚に預けるといったことも行われます。母国の文化と日本社会との間にずれがあるのです。また、親世代には戦争体験があり、親は子どもの将来を考えて来日したのですが、子どもにとっては親の辛い経験は重過ぎるし、結果的に親子関係が断絶している場合もあります。

 

親子関係や学校における処遇など同じような問題を抱えている外国人の子どもたちがたくさんいたので、自分たちの居場所を作ろうと2001年にすたんどばいみー を立ち上げました。そして、支援されるだけでなく、自分たちからも発言もしたいと考えて2年前に法人化しました。すたんどばいみーは、葛藤のある子達が自分を落ち着かせたり、状況を整理したり、自分を表出したり、避難するための居場所としてつくられました。そして、家庭訪問を通じた親世代との話し合いも重ねてきました。

 

外国人の子どもたちは学校では辛い経験をしているし、面倒を見てくれる先生に出会うことはまれです。面倒見のいい先生に出会うことはその子の進路選択に影響しますが、「学校が楽しかった」という子はいないと思います。どこに行っても自分はだめな人間だと思ってしまうし、行き場所がない。高校には行かず親と同じ工場で働く子もいます。子どもの権利条約も全然守られていません。

 

 

■外国にルーツを持つ児童・生徒の権利

 

宮脇英理(すたんどばいみー事務局長)

 

私は中国系ベトナム人と日系ベトナム人の両親の元、日本で生まれ育って日本の教育を受けて、2001年にすたんどばいみーに出会いました。

 

父親にベトナム語教室に連れて行かれたけれど、自分の国の言葉なんて勉強したくないと思いました。一方、親は日本の制度が分からないし、高校に関する知識もない。すたんどばいみーは、自分のルーツのことや学校のことについて話を聞いてくれ、親の戦争のことやなぜ日本にいるのかということも教えてくれました。いちょう団地には外国人が多いけれど、自分が通っていた学校は外国人が少なかったので、日本人でないことを隠していました。お母さんは日本の名前で、お父さんはベトナムの名前なので、「保護者氏名はどちらを書けばいいですか?」と先生に尋ねると、先生には「書きやすいほうでいい」と言われました。自分が抱えているアイデンティティや葛藤について学校で教えてくれることはなかったし、すたんどばいみーに出会わなければ日本人として生きていたと思います。

 

子どもにとって最も良いことは学校に行くことだと思いますが、とにかく子どもが大事にされていない、と思います。

 

すたんどばいみーの子どもたちのことを紹介したいと思います。

 

Aちゃんはベトナム人で日本生まれの日本育ちですが、すたんどばいみーに来ていても、掛け算でつまづくし、宿題のレベルもあっていない。学校の先生がちゃんと見ていないからではないかと思います。さらに先生は親に「特別支援学級に行ったらどうか」、「子どもの数が少ないから丁寧に見てもらえる」と言います。でも、本人は「そのクラスは勉強が出来ない人が行くクラスなの」「私はばかなの。何をやってもできない」と思っていて、子どもはそんな思いを抱えながら通っています。特別支援学級に通う子どもたちは全部で20名、うち日本人は5名で他は全員ベトナム人ですが、これはおかしいのではないかと思います。Aちゃんに障害はないのに、一般学級では見てもらえない。先生は障害者手帳があれば就職ができると言うけれど、一般中学や高校に進学できるのかどうか、マイナス面まで含めて伝えているのかどうか分かりません。外国人=障害がある子なのでしょうか。他の地域ではブラジル人がそのような状況におかれています。

 

Bくんは中国系ベトナム人で親が難民として来日しました。中学では部活に熱中していて、優秀な成績で大会まで出たのですが、先生とはうまくいっていませんでした。そんなある日、先生はBくんに対して「他のやつのことを考えられないなら国に帰れ!」と言いました。Bくんは日本で生まれ育っていて、ベトナム語が話せません。両親はベトナム人ですが、一体どこに帰れというのでしょう。Bくんは「僕の国ってどこ?」と言い返したかったけれど、相手は先生だし怖いし、何も言えませんでした。Bくんの尊厳や権利はどうなるのでしょうか。

 

Cくんは日本生まれの中国人で、選挙権がないことを知りませんでした。親とも話をすることはありません。その子にとって知る権利とはなんでしょうか。日本の学校教育では、外国人の子どもたちが権利を学べる場はありません。

 

子どもたちは自分の国の言葉を学ぶ機会がなく、親は日本語が理解できないため、会話が成り立ちません。子どもは親に守られることになっていますが、親は日本語ができないため実際には子どもを守れません。日本生まれの子も多く、保育園でも保育士が「どんどん日本語を話させてください」という一方で、親の言語や文化は伝えられません。さらに、いじめがあるので、子どもたちは日本名に変えていきますが、子どもたちが自分たちのアイデンティティに気がついた時には、すでに日本名になっています。

 

日本では外国人にとっていい制度はありません。だから、子どもが自分らしく生きられるようになるためには、地域の中でどれだけ手をかけてあげたかが大事だと思います。先生がどれだけ手厚く手をかけたかによって、子どもたちは自立できます。子どもが自分で考えて出来るようになるためには「しつこいおとな」がどれだけいたかが重要です。親は言葉も文化も違うし、「女性はこうすべき」という観念があるのであまり話ができません。子どもの尊厳や権利を考えた時に、外国人の子どものアイデンティティの問題に対して、周りのおとながどれだけ知識をもって接することができるかが問われています。例えば、自分がベトナム人だというと、友達に「ベトナムってきたないよね」と言われたことがありますが、そんな時周りのおとなが肯定的なことがいえるかどうかが子どもの成長にとって重要です。

 

 

■「難民の子ども、マイノリティの子ども、移民の子どもの権利」

 

甲斐田万智子(シーライツ代表理事)

 

 

お二人の話しを聞いて、5つのことが印象的でした。

 

1つ目は、ボランティアの人から「感謝をしなさい」と言われたこと。これは、子どもの権利ベースアプローチとはまったく逆の接し方だと思いました。

 

2つ目は、「子どもたちに特別支援は必要だけど、それは特別支援学級ではない」という言葉です。

 

3つ目は、「(先生から投げられた言葉によって)胸が痛かったと同時にそれはおかしいと思った。けれども、それを先生に言えなかった。先生がどれだけ子どもに手厚い対応をできるかだ」という言葉でした。

 

4つ目は、「地域のおとなが、どれだけ考えを変えて、子どもたちの話を聴く、子どもに寄り添えるおとなになれるか」ということ。

 

5つ目が、親がどれだけ知識を増やし、抑圧的な態度ではなく、肯定的な言葉を子どもにかけられるようになるかということです。

 

これから、難民の子どもには本来どのような権利が保障されているかについてお話します。まず、子どもの権利条約では、

第2条 差別されない権利

第22条 難民の子どもの保護・援助

第28条 教育を受ける権利

第29条 教育の目的

第30条 少数者・先住民の子ども

が特に関係します。

 

 

子どもの権利条約の第2条では、親の「地位」を理由とした差別を禁止し、政府は差別の解消あらゆる措置をとることを定めています。しかし、国連子どもの権利委員会による第一総括所見でも第二総括所見でもこの点において日本政府は勧告され、2010年の第3回総括所見では、難民の子どもを含むマイノリティの子どもに対する社会的差別が根強く残っていることへの懸念が示されました。

 

第22条では、「難民の子どもだからといって、差別されたり受け入れてもらえないなどということがあってはならない。難民の子どもを保護したり、援助したりするために努力するNGOを政府は協力しなければならない。特に健康への権利(24条)と教育への権利(28条)を保障する。」と定められていますが、お二人のお話を聞いていると特に教育の権利の実現のために政府がNGOに協力をしていないことがわかります。

 

28、29条の教育への権利、30条の少数者の子どもの権利では、マイノリティの外国籍の子どもたちが自らの言語・文化・歴史を学べるように保障しなければならないこと、また、マイノリティの子どもへの日本語教育プログラムの実施が定められていますが、それらが保障されていないことがわかります。また、子どもの親、子ども自身の文化的アイデンティティや価値の尊重を定めていますが、お二人の話から、日本の保育園では、母語の使用を禁じられていたり、母国の歴史を学べないなど条約が守られていないことがわかりました。第二回総括所見でも、「マイノリティの子どもたちにとって、自己の言語で教育を受ける機会がきわめて限られている」と懸念されています。

 

昨年、国連子どもの権利委員会で採択された、「国際的移住の子どもの人権に関する一般的意見23号」では「移住者である子ども(migrant children)に対するいかなる差別も解消するとともに教育上の障壁を克服するための適切なジェンダーに配慮した対応をとらなければならない。」とされましたが、それらの対応がされていないことがわかります。

 

そして、子どもの権利条約には、意見表明権などの子どもの参加の権利が保障されていますが、親から伝統的価値観、ジェンダー価値観を押し付けられがちな外国にルーツをもつ子どもたちには、特に親にも意見を表明していい権利があることを伝えることが大切でしょう。

 

すたんどばいみーは、子どもたちが自分の思いを安心して伝えることができる権利を保障している大切な居場所だと思います。

 

このような場所が難民の子ども、多文化の子ども、マイノリティの子どもに必要だと思いますが、まだまだ少ないと思います。子どもたちはこのような場所で、意見を出し合い、社会の問題点を話し合うことでエンパワーされ、エンパワーされた子どもたちが社会を変えていく力になるのではないでしょうか。そうすることで「子どもを誰ひとり取り残さない社会」を実現できるのだと思います。